「のれん式」という仕事の作法 その8

<イエ・イズ・ノット・ア・家>

ピンときた方もいるでしょうが、上の奇妙な見出しは、ジャズのスタンダード・ナンバー、「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム(House Is Not a Home) 」を捩っています。BバカラックH・デイヴィットのコンビによる作品(映画の主題歌)ですから、ジャズ色はそれほど濃くはなく、初めに歌ったのはディオンヌ・ワーウィックです。タイトルの意味は、愛する人の去った家はただ椅子や部屋があるだけでホームではない、ということ。愛に破れ、あとに残された人がその想いを切々と訴えるわけですが、僕にとっては、何より英語のhousehomeの違いを意識づけられた歌でありました。

普段の生活では気にも留めていませんが、「家」という言葉の意味するところが異常に広いという事実は、日本語の中に隠然と浸み込んでいます。「家のぬくもり」というときの「家」は、英語ならあきらかにhomeでしょう。また英語のfamily treeを日本語に訳すと、家系図です。つまり人(家族)の系図が、家の系図になるといった具合。数え上げればキリがありませんし、その原因を成している日本独自のイエ思想とそれが形となった社会制度(以下、まとめてイエ制度)に関する論説は百花繚乱、尻込みしてしまうほどたくさんあります。いや実際、僕は尻込みをしています。あえて取り上げるまでもないことですが、社会学民俗学文化人類学も文学も法学も経済学も、皆さんそろってアプローチしています。

しかしその事実をちょいと脇に置き、“誰でも知ってるイエ制度”のレベルで解説してみましょう。まずは、その始まりから。イエ制度は相続制度に端を発しています。代々の相続について、一般の平民が天皇家のやり方を真似た、もしくは真似させられてでき上ったのではないか、とする意見がありました。父系の直系血縁を絶対的に重視するべきであり、長男の相続を基本とする。儒教思想の影響もあり、それを制度化して維持していくことが無暗な相続争いを避け、社会を安定させ、人々の心の平和を保つことになるというわけです。今でもそう思っている人は少なくないかもしれません。ところが、ここがまた厄介なところなのですが、実際の相続は、特に商家の場合などは必ずしもそうではありませんでした。跡を取るべき長男がぼんくらの場合は、さっさと別の人間に家督を譲りましたし、いわゆる婿養子を家長・店主にさせることも頻繁にありました。才能を見込まれて、のれん分け(別家)という形でなく、血縁のない番頭が主家・本家を継ぐケースもけっこうあったようです。血縁の相続一本鎗で、それが可能でない場合はお家断絶というのなら分かりやすいのですが、伝来の形式よりもその場の実利を優先したケースが少なくなかったのです。

ちなみに、イエ制度のルーツを天皇家に求めず、「藤原道長に始まる摂関家こそまさに、イエの始まり、モデルとなったのである」(「イエ社会と個人主義」平山朝治著 1995年)とする本もあります。娘の婚姻を自家の発展に利用した平安貴族は、その相続も天皇家に比べれば多様性があったからでしょう。

イエ制度はとらえどころのない部分もありますが、江戸時代までの武家の制度や明治民法の家族制度の根幹であり、またその影響は現代の我々の生活にも及んでいます。執念深いと言いたくなるほどです。

「日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識のあり方は、伝統的な、そして日本社会の津々浦々まで浸透している普遍的な“イエ(家)”の概念に明確に代表されている。」(「タテ社会の人間関係」中根千枝著1967年)

「特殊な集団認識」とは、我々が自分の所属する職場である会社や官庁、学校などを「ウチの」と言い、相手のそれを「オタクの」と表現するようなことを指します。「私は」でなく「ウチは」であり、「あなたは」でなく「オタクは」であることに目を向けなければなりません。我々の人間関係は、知らず知らずにイエ(家)を前提としているのです。

具体例を付け加えるなら、例えばテレビのレポーターが中年以上の一般男性に対し、何のためらいもなく「すみません、そこのおとーさん」と呼びかけ、女性に対しては「ちょっといいですか、おかーさん」などと語りかけるようなこともそうです。そして相手のほうは、たとえ子供なんかいなくても「はーい」と迷いもなく返事をしてしまう。また結婚式場においては、新郎新婦の名前が使われず、“〇×家と×〇家の婚礼会場”になってしまう。好ましいとはぜんぜん思いませんが、どれも日本の伝統的なイエの概念をベースにした認識が現われたものです。

僕の付け足した例はともかく、中根教授が指摘した日本人特有の集団認識の具体例は、まさしく前に述べた“暖簾内(のれんうち)”の言葉に直結することが分かります。もちろん偶然の一致ではありません。中根教授が言う「ウチとオタク」のウチという和語は、漢字をあてはめれば“家”ですが、“内”でもあります。商家の長暖簾の内側で生まれたのれんの概念とウチの概念は、共通しているのです。力ずくで三段論法式に単純化しますと、イエ=ウチ、ウチ=のれん、よって、のれん=イエ。

商人は自分たちのイエ思想、イエ精神をのれんと呼び、商売の長期継続(拡大繁栄ではなく)のために徹底的に磨き上げたのでした。