「のれん式」という仕事の作法 その9

<商ほど素敵なものはない?>

僕の世代は、江戸時代に士農工商身分制度があったと教えられました。何か変だなあと思いながらも、反論するにもその材料を持ち合わせていないので、そのまま大人になりました。それほど昔のことではありません。士農工商を学校で教えなくなったのは、平成の時代に入って、だいぶ経ってからのようです。

越後屋、おまえも悪よのう」「いやいや、めっそうもございません」。そう言って武士と商人が、クククッといやらしく笑い合うような場面は、実際にあったのでしょう。けれどもそんな会話が成り立ったのは、身分のいちばん上といちばん下だからではないことが、はっきりしました。「悪」の程度にもよりますが、商人は、有力顧客である武士に取り入ってたっぷり儲ける。武士は武士で、商人の金融力をとことん利用して、自らの出世を企てる。身分の上下はないのですから、お互いがお互いの利益を図るウィン・ウィンの対等な関係、とも言えます。・・・しかし、天からそれを見ていた神様、あるいは仏様は、「おい、お前たち、そんなことが長続きするとでも思っているのか、恥を知れえー」と怒ります。

そう、のれんの最大テーマは長続きするかしないか。それも子々孫々まで何代にも渡って。このときの越後屋さんは、もし彼がのれんを守るというような意識を持ち合わせていたとしたら、あきらかに自己矛盾に陥っています。良く言えば越後屋さんは、すでに近代的資本主義を実践していた、ということになります。

のれんは、イエ思想やイエ精神が商家の経営論理(もしくは経営倫理)に変容したものです。その究極的な目的は、商売の拡大でも資産の蓄積でもなく、自分たちの商家を永続させることにありました。“太く短く”でないことはもちろん、“太く長く”を求めるのでもなく、“細く長く”がのれんの原理・原則です。したがって、細く長く精神を失えば失うほど、ピュアなのれんは影をひそめていく結果につながるのです。

「商家の家訓 商いの知恵と掟」(山本眞功監修2005年)には、江戸時代に大阪の摂津で始まった鴻池家の家訓の現代語訳が載っています。

その中で大名との取引について、

「利益に目がくらみ、おぼつかない方との取引をしてはならない。間違いのない取引のみにして、貸付金が多くならないようにすること。末代までもこの心得を持って家業を勤めるように」

と書かれています。また、ほかにも

「本業以外の商売は決して行なってはならない。思いついた商売をやるようなことは、末代まで無用のこととする」

「品行や身持ちの悪いものがあれば、許しておいては子孫の繁栄が実現できなくなるため、ほかに相続人を立てるようにすること」

というような家訓を紹介しています。

鴻池家は造り酒屋で成功し、海運業にも進出、一七世紀後半には幕府の御用両替商として莫大な富を築きました。三井や住友などと違って、明治以降の大財閥の一角を占めるまでには至らなかったのですが、文字通り“太く長く”を例外的に実践した商家の同族団です。

しかしお分りのように、現実の姿と家訓との間にはだいぶ距離がありました。家訓はあくまで家訓ですから、世間に向かって宣言したわけではありません。僕のような“のれん原理主義者”を別にすれば、その事実を気に留めるようなへそ曲がりはいないでしょう。それはともかく、この家訓に注目したのは、鴻池の事実に反して、“細く長く”の、のれん精神が具体的に示されているからです。いわば、のれんの掟(商人のイエの掟)が端的に列挙されているのです。

いわく、「利益を追うな」「商売の手を拡げるな」「相続は血縁にこだわるな」、それらを「末代までも続けよ」。別の言い方をすれば、家人が一致して家業(イエ)を続けて行くため、利益を追わず、商売の手を拡げず、相続は血縁にこだわらずにやりなさい、ということになります。言葉どおりに実践したら店の小規模、無名は避けられません。しかし、それがどうした、だから何だと言うのだ、長生きに勝る人徳があるとでもいうのか、と多くの商人たちは考えたのでした。まさしく、のれんの精神です。