「のれん式」という仕事の作法  その7

<ピュアなのれんを追いかけて>

さてお分りのように、この先、暖簾と“のれん”に加え、家と“イエ”の区別もしながら書いていく必要があります。我ながら実に紛らわしいと思っていますが、仕方ありません。とはいえ話がここまで来れば、暖簾という漢字は後ずさりするように姿を消し、ようやくひらがなの“のれん”が主役となります。

また、前のパラグラフで「商人の集団意識」と書きました。今どき商人という言葉を使っているのは、シェイクスピアくらいのものでしょうが、このブログはのれんの精神が形成された時代を前提としているので、これ以降も“商人”は顔を出します。商人にとって、のれんは命であり、のれんにとって、商人は命なのです。

はっきりとした線を引くことはできませんが、のれんが本来の意味を維持していたのは、商人が巷を行き来していた時代までだと僕は勝手に考えています。彼らが社員とか経営者、資本家と呼ばれるようになると、のれんは本来の意味を失い始めました。さらに時代が下り、類似概念である“ブランド”がアメリカからやってくると、ますますピュアなのれんを見かける機会が少なくなってきました。

振り返れば、僕が学園紛争後の大学を何とか卒業し、広告の仕事に邁進し始めた一九七○年代半ば。コピーライターというのは複写機関係の職業だろうと思っているような学生が、マジいた時代。つまり昭和がバリバリの現役だった頃、業界の片隅で、例えばこんな会話もありました。

「ブランドっていうのは、どういう説明をすれば得意先に分かってもらえるんだろうか」

「日本で言うところの、のれんと考えればいいのさ、難しく考えちゃいけないよ」

平成の今となればなおさら、のれんとブランドは、その性格も能力もほとんど同じであり、違うのは国籍くらいのものだと受け取れられているかのようです。商人という言葉が死語になりつつある現在の感覚でのれんの原理・原則を抽出すると、夾雑物が混ざってしまうので、気をつけなければなりません。

別な言い方をすれば、のれんが原型を保っていたのは、暖簾が商家の用具として実際に使われていた時代までということです。暖簾内とは、同じ系列の商家で働く人たちのグループを指す言葉ですが、同じデザインの長暖簾の内側で働くという、文字通りの即物的な意味あいを認めることもできます。現在、“のれんを守る”ことを誇りにしている老舗企業は少なくないと思います。しかしそのほとんどが、暖簾を自社の近代的なビルのインテリアやアクセサリーとして用いているでしょう。店舗の設計上、そうせざるを得ない状況になっているのですから、少しも文句はありません。けれどもそこに純粋なのれん精神を求めるわけにはいかないのです。のれんは単に店の歴史の蓄積を表す言葉ではなく、そこには、商人たちの生活理念や商売方針がたっぷり含まれていたのです。のれん原理主義だと白い目で見られることを覚悟の上で言いますと、混じりけなしのピュアなのれん精神は、もはや歴史の中にしかありません。その歴史をほじくり返して「のれん式」を浮き彫りにし、現実的な「仕事の作法」に応用しようというのがこのブログです。

さて、堂々巡りをしているようで恐縮ですが、問題は“イエ”です。商人の世界において、本家・分家・別家の区別を可能にした、つまり、商家の最重要事項である“のれん分け”を実現させたのがイエ思想です。今でも結婚式場などの因習としてしつこく残る、イエ思想なくしてのれんの形成はあり得ませんでした。