「のれん式」という仕事の作法  その6

<のれんの中にイエがある>

店舗の暖簾、その初期の段階では、目隠し・日除け・埃除けという物理的機能に加え、目印になる図形とか屋号などを布に染め込むことによって、店の独自な存在を示す記号的要素を生み出しました。そして商人たちが武家を真似て自家の紋を作るようになると(武士たちの陣幕に憧れたという説もあり)、家紋入りのものが多く現われ、暖簾は●その店のシンボルとして機能するようになりました。

また時代が進み、主人家族のほかに使用人もいるような商家では、暖簾の可変型パーティションとしての機能が、店の内側の空気を一種独特な濃密さに保ちました。その結果暖簾が、●商家で働く人たちの商家ならではの絆(仲間意識)を、知らず識らず強めるような働きをしたと考えられます。有名な三井家、鴻池家、住友家などが大商家として出現するようになった江戸時代の享保年間(十八世紀初め頃)には、暖簾の形状や使用上の機能は、ほぼ完成されていたようです。

暖簾の話から“のれん”の話に移る準備が、ようやく整ったわけですが、ここでブログの記事らしく、二○一七年六月二六日現在で社会的トピックスになっていることについて少々。

今の日本政府であるAB政権は、誰もが知っている抜き差しならぬ事情により、かなり威信の低下がみられるようです。いや、ぜんぜんそんなことないよ、一強盤石だよ、と主張する強情な人もいるようですが、僕は素直なタイプですからそうは思いません。大学の期末評価でいえば、CもしくはDレベルにあると想像されます。もはやE、つまり落第だとする意見も少なくないのです。ABCDか、いやEだという非常に分かりにくい書き方をしましたが、ここで言いたいのはほかでもありません。選挙(山口県第四区)で一○万票ちょっとの直接的支持があっただけなのにAB総理は近ごろ独善的過ぎるのではないか、ということです。所属しているGB党の“保守のれん”の価値を、きちんと継承していない可能性が大いにあります。僕はGB党の党員でも支持者でもなく、たまたま“のれん”を考察している男に過ぎないのですが、AB(独善)GB(のれん)という式が成り立つと思っています。

いやはや、重ねがさね持って回ったような抽象的記述になってしまいました。その道の専門家ではないので、ある程度の“逃げ”はお許しください。

それはそれとして、本題に戻りましょう。どんな研究ジャンルにも、決定版と言われるような本があります。暖簾と“のれん”の分野においては、すでに紹介した「暖簾考」と「商家同族団の研究」(上・下巻 中野卓著 1978年)が両横綱。といっても大関以下はほとんどいないのですが、後者には「暖簾をめぐる家と家連合の研究」という副題がついています。いわゆる学術書であり、高価な本ですから、このブログの想定読者(とりあえず三十代前後の会社員、ひいて言えば日本の大人一般)の興味をひくとは思いません。しかし“のれん”の原理・原則を詳しく説明するため、そんなことは気にせず、以下引用します。

「商家同族団の場合、これらの家々の系譜的な連続と関連は、暖簾の同一によって象徴されており、その限りで、暖簾内と呼ばれてきたのである。」

「暖簾を媒介とし、それゆえに暖簾内としての商家同族団の制度が一般化し確立した江戸中期(後略)」

「暖簾内は、暖簾をひとしくする本家・分家(親族分家)・別家(奉公人分家)よりなる階統的な家連合である。これを結び付けているものは、暖簾をもって象徴されている系譜の連続分岐の相互承認と、それにもとづく社会的・経済的信用であり、それに裏付けられた生活共同である。」

難しい文章です。とはいえ、くどいくらい繰り返し出てきますから、読めばすぐに気づくでしょう。そう、キイワードは「暖簾内」です。暖簾という物質名詞が、商人の同族意識を表す言葉に転用されたことを示します。

そしてこの暖簾内には、「イエ(家)」という、例によって首尾一貫しているようでもあるし、ご都合主義のようでもある、日本独特の社会制度が大黒柱のように立っているのでした。